« じじばばの店ではないけれど | トップページ | NHKのど自慢 批判概論 »

2017年3月17日 (金)

ハイライトの思い出

前回お店の禁煙についてちょっと書いたので、煙草の話をしてみたいと思います。

今は煙草は吸わないが、実は学生時代から30代半ばまではそれなりの喫煙者でありました。
上京し最初に下宿したところが、下宿屋の親父と、2人の下宿人がそろって缶ピース。当時早稲田文学部の"8年生"だったその先住下宿人の一人は、私が同窓ということで何かと可愛がってもらったのだが、彼がいうには
「缶ピースは箱入りと違って"特殊な気体"が封入してあるので香りが全然違う」
この早稲田8年生の関西人は"とくしゅ"という発音がなんともはっきりとしてして、いまでもそれが耳に残っている。
それはさておき、下宿人と下宿の親父がこぞって缶ピースだったので、私も当然それに感化されて最初は缶ピース、その少し前に流行っていたダウンタウンブギウギバンドの歌を地で行ったのでありました。
「初めて試した煙草がショートピース♪」
たちまち目眩でくらくら飯も食えず♪・・・にはならなかったですが、
当時この煙草はたしか10本入りで50円、セブンスターなどの20本入り100円のものと同じ単価。
高いし、だからといって当時20本入りで30円だったゴールデンバットも悪くはなかったが、どこでも売っているわけではなく、第一両切りというのはやはり結構面倒。「いこい」や「わかば」や「しんせい」も安いには安いがいまいち・・・
ということで、最終的に落ち着いたのが
ハイライト
当時20本入り80円
その後値上がりしたが、なぜかセブンスターやピースとの差はいつも20円
あっちが200円ならこっちは180円。
それ以降も値上がりし、どうも今はセブンイスターなどと同価格になってしまったらしい。
*
当時、だいたい1日25本程度吸っておりました。それなりの本数ですね。
それが1991年3月をもって、突然ぶっつりと禁煙してしまったのでありました。
そして、それ以来一本も吸っていない。
よく、酒が入ると吸いたいという向きも少なくなく、行きつけの飲み屋に「煙草キープ」などという輩もいたが、私の場合それもなかった。
*
1991年3月に何故やめたのかというと、
これは、実は湾岸戦争がもたらしたものなのであります。
当時政府が、湾岸戦争のアメリカに加担する日本の戦費負担をタバコ税に上乗せするといい出し、
何故喫煙者のみが戦費を負担しなければならないのか?と
激憤💢
「それなら、煙草はやめだ💢!」
ハンストならぬ反戦禁煙!!
さすがに、喫煙者の戦費負担案は現実的ではなく廃案になったものの、一旦振り上げた拳はそのまま下ろすわけにもいかず、禁煙は実行に移されたのであった。
最初は
「まあ、とりあえず2-3週間休んでみよう」と思ったのでありました。
それが、休んでみたら別に吸わなくても一向にイライラもせず、間が持たないということもなく、チューインガムも禁煙パイポも必要なく、全く平気なのでありました。
ということで、そのまま煙草と決別して四半世紀以上の歳月が流れ現在に至るのであります。
いま思えば、禁煙を開始した日のちょうど一週間後、当時競馬にはまっていて、しかも、これぞというレースの手堅い馬券に割りと大きな額を投入することが時々あり、この日のメインレースの弥生賞に確か連複一番人気に一点買いで3万円つぎ込み、後楽園の場外馬券売り場でレースの開始を待っていたのでありました。
決して裕福ではない設計事務所勤務の若造にとって、馬券に3万円注ぎ込むというのはさすがに緊張でありました。
それで、馬券を購入からレースまで10分ほどあったでしょうか、手のひらに汗が噴き出して喉も渇き・・・妙に煙草が吸いたくなったのでありました。
「こういうときに一服すれば緊張がほぐれるのだろうなぁ」とつくづく思いつつ売店に目をやれば、
ハイライトが
「私ここよー」
と呼んでいるではありませんか!
「うーん吸いたい!!」
ハイライトの誘惑に相当なびいたのでしたが、最終的にそれを振り切り、汗ばんだ手で馬券を握りしめつつレースに臨んだのでありました(場外なのでテレビ画面ですが・・・)。
レース展開も、着差も、勝ち馬の名前も全く覚えていないが、一つだけ覚えていることは
「きたー」
ということであります。
今調べてみると、1991年3月3日報知杯弥生賞、1着イブキマイカグラ 2着リンドシェーバーで連複290円となっている。懐かしい馬の名前です。
このことからすると、一点買いで57000円儲かり、そして煙草をやめたのがそのちょうど1週間前の日曜ということは、それは1991年2月24日ということになります。
競馬にはこんな副産品がある。
つまり、レースは1年間の"番組"が決まっておりメインレースにはそれぞれ名前が付いているので、レースに絡めて覚えていればそれがいつだったのか容易に振り返ることができる。
それはさておき
思えば、このときJRA後楽園場外馬券売り場のとある売店のハイライトの誘惑になびいていたら、ひょっとして今でも煙草を吸っていたのかもしれない。
しかし、やめてから考えると、煙草にたいしてそれほどの執着はなかったようで、
たとえば、友人が「食後の一服はうまいなー」などというのを聞いても、
「そんなにうまいかなー?」
と、それが理解できず・・・
当時担当していた建築の現場監理の神戸行きで毎週乗車していた東海道新幹線においても、出来たばかりの禁煙車両を選び、自分が吸いたいときにはデッキに行くということにしていたのでありました(人の煙は吸いたくないし喫煙車両のもくもくの空気はさけたい)
*
煙草をやめるとご飯が美味しくなってついつい食べてしまい太る、という話をよく耳にするが、私の場合それもなかった。
たしかにご飯が美味しくなったという記憶はあるが、美味しいものはより美味しく感じる一方、まずいものはより不味く感じるようになったのでありました。
つまり、喫煙時より舌が敏感になったというか・・・
*
残りの人生で今後煙草を吸うこともないだろうと思いますが、もし再び煙草を吸う必要?があるような状況に置かれたならば、やはりハイライトを吸ってみたいとおもうのでありました。
それとショートピースも!!
*
ではまた。

« じじばばの店ではないけれど | トップページ | NHKのど自慢 批判概論 »

つれづれ」カテゴリの記事

コメント

I think this is a real great blog post.Much thanks again. kgkecfddaedc

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ハイライトの思い出:

« じじばばの店ではないけれど | トップページ | NHKのど自慢 批判概論 »

フォト
2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

カテゴリー

無料ブログはココログ